【実体験】SNS運用代行をするフリーランスの収入・経歴などご紹介!
こんにちは。SNSの運用代行などを生業としている兵太郎(@hyoutaros)です。
私は自分自身を今では「世界一インスタに詳しい!」と自負しているのですが、いったいこれまでどのような人生を送ってきたのか?ということについて語りつくせればと思います。
~大学生時代
私の地元は福岡県です。ラーメンなどで有名ですが、私個人的には九州の海が好きでした。非常に美しい街で育ち(特定につながる可能性があるのでここは詳しく書けませんが)、3人兄弟の次男として育ちました。
ただ、その時代は本当にただの子供ですね!正直すごく面白い話もないかなと思います。ちなみに、中高時代の部活動はサッカー部で、フォワードのポジションにつくことが多かったですね。
ただ、大学受験をきっかけに私の人生が大きく変わったように思います。
そう、私は地元の「九州大学」であったり、そのエリアにある行きやすい大学ではなく、まさかの「台湾國立大学」へ行きたいと考え始めました。
というのも、ちょうど私が大学受験の時には「PM2.5」など、ものすごく大気汚染がされる一方で、異常な勢いで伸びる中国の急成長が見えていたのです。
ただ、「一般的な高校生」だった私は、当然ですが中国語も喋れません。
なので、日本語でも通じそうな「台湾」という国を選び、その中でもしっかりしてそうな「台湾国立大学」を選びました。(まあ日本でいう東大ですね)
しかも、よかったのは、日本語はもちろん、英語や中国語など、かなり多様な言語がカバーされていたり、さまざまな国から留学生もきていたので、非常に過ごしやすそうだったのもありました。
ストレートに「台湾國立大学に留学!」という感じでいければよかったのですが、まさかの2年間も浪人して中国語をある程度マスターしてからの大学入学となりました。
なので、私は実は中国語がそこそこ喋れたりします。(まあ厳密には南の方の言葉なので、北京語とは言葉やイントネーションが違うのですが)
親には本当に迷惑しかかけてないな、、と思いますし、結局いま私が勤めているのは日本企業でほとんど中国語が役立っているわけではありません(笑)
新社会人時代
新社会人になって最初に入った会社は、ベンチャー企業でした。
SEO対策やホームページ制作などを行なっている会社で、現在のブログのつくりなどもかなりその時代に培われたものがあります。
とはいえ、その時代のGoogle環境とはかなり変わっているので、今は今流の戦い方(とくに私が主戦場にしているのはTwitter*ブログという領域ですが)を実践中です。
その当時は、まだ「キュレーションメディア」という言葉すらなかったですね笑。
24才から、だいたい29才までの5年間くらいをそこで過ごしました。
基本的には営業職ではありましたが、なにぶんベンチャー企業なので全方位的に技術面(フロントエンジニアリングなど)であったり、要件定義、コンサルティングなどなど様々な関わり合い方を学べました。
そういった「個人としても十分戦える実力」を5年間もの時間をかけて身につけさせてくれた前職には感謝しかありません。
半年間の世界放浪生活
さて、5年も働いてある程度お金も貯金できていた私はアジアを旅することにしました。
私の直接の知り合いは、「世界一周してたの?」といわれたりしますが、とはいえ無駄遣いはできないのでアジア周遊+アメリカというイメージですね。ヨーロッパは、長期間旅したのに一度もいかなかったのは少し後悔しており、いつかチャレンジしたいと思っています。
ちなみに、久々に私は「台湾」へ向かうことにしました。そこで空港に降り立って初めて見たのは「17Live(イチナナライブ)」の広告でした。
「なんじゃこりゃ・・・」
と正直思いましたね。意味がわからない。よくよくアプリをダウンロードして使って見ましたが、派手な女性が画面いっぱいに表示されて、尋常ではない閲覧者と、尋常ではないプレゼントのやりとりが行われていました。
(続く・・・)